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遥飛蓮助の一次創作ブログ
2016/08/11/Thu
当たり前だろ。大事なものがなんなのか分からないのだから、見つけたいと思うのは当然じゃないか。
(二度とあんなところへ行くもんか!)
 僕は狭い階段を駆け上がり、薄暗い裏通りから大通りへと飛び出した。初夏の空は明るく、夢原さんがいた地下と地上の温度差から汗がにじむ。
 走りながら、時計を確認した。午後五時五十五分。
 あと五分。時間は多少前後するかもしれないが、用心するに越したことはない。
 部活帰りの学生や、仕事帰りの会社員の間を走り、大通りを抜けると同じ家が並ぶ住宅街へ入る。
 手前から数えて四つ目。赤いポストを置いた家に駆け込んだ瞬間、前に出した足で地面を踏みしめて立ち止まる。
「おかえり」
 その人は、ちょうど玄関のドアを開けたところだった。
「たっ、ただいま、帰り、ました」
 肩で息をしながら、僕はその人を見た。ドアガラスに日光が反射して、最近増えてきた白髪が透けて見える。
「さっき家政婦さんから言伝を聞いたぞ。そんなに急いで帰る必要はなかったんじゃないのか」
「あ、はぁ、そうなんですけど」
 そういえば、服を着替えて夢原さんのところへ行く時、家政婦さんに『友達と会うから六時までに帰る』と言伝を頼んでいたんだった。間に合わなかった場合の保険として。
「――そうか」
 その人は僕を追及するように口を開いたが、出たのは一言だけだった。
 他の家からは夕食の匂いや、帰宅時の挨拶が聞こえるのに、僕とこの人の間には微妙な空気があった。
 どちらかが口を開くまで、どちらも口を開かない状態が何年も続いている。僕がこの人に敬語を使うようになった時期も分からない。
「……」
 息が整った後も、僕は俯いて押し黙る。
 言伝を頼んだのだから、急いで帰る必要はないのではないか。この人は、僕が理由を話すのを待っている。
 肌を刺す視線が、初夏の日光より痛い。でも僕に言うつもりなどない。だって本当のことを言ったら、夢原さんはともかく、僕はこの人に。
「今日はカレーだそうだ。お前も早く入れ」
 視線を上げると、脱いだ背広を腕に引っかけた、ワイシャツ姿の背中が家の中に入っていく。家の中は、夢原さんのいる地下より、暗く、重い。
 玄関のドアが閉まると、口から小さく息が漏れた。よかった。これで僕は。
 僕も玄関の前に立ち、深呼吸をしてからドアノブに手をかけた。
(ごめん、父さん)

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